札幌には、二十四軒や八軒と、入植者の出身地でもアイヌ語由来でもない地名があります。最初に住み着いた家の数が地名になったというものです。
調べた限り、四軒・六軒・八軒・十軒・十二軒・二十四軒とあるようです。なぜかすべて偶数です。
札幌の地名というサイトによると、
辛未移民この辛未移民がいくつかに移住します。
干支の「辛未の年」であった明治4年、開拓使によって募集された移民。
それまでの移民に比して、素性のはっきりした永住の志のある50戸の「良民」が東本願寺の東側に入植し「辛未村」と呼ばれた。
1871年(明治4)また、同じ年に、道外からの入植で、
東本願寺東側に50戸が入植し辛未村となる。
辛未村から12戸が現在の宮の森へ移住し琴似村大字琴似村字十二軒となる。
辛未村から24戸が現在の二十四軒へ移住し琴似村大字琴似村字二十四軒となる。
辛未村から8戸が現在の八軒へ移住し琴似村大字琴似村字八軒となる。
月寒川の東側に六軒村(福住)ができるとあります。
現在の伏見に山形県から4戸の農家が入植し四軒村ができる。
さらに篠路町上篠路に十軒神社、十軒会館などがあります。
道だ!によると、
明治4(1871)年地名以外にも、地下鉄駅にも、北34条・北24条・北18条・北12条・西28丁目・西18丁目・西11丁目などがあるのは、ご存じの通り。
南部盛岡藩から開拓使。80戸は月寒に44、花畔(ばんなぐろ)に20、円山に6、そして篠路へは10 とそれぞれに分かれて入植した。
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